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VW、スズキを子会社化の可能性 独誌報道 [ビジネス]

 ドイツ誌シュピーゲルは18日、独自動車大手フォルクスワーゲン(VW)がスズキの株を買い増し、子会社化に乗り出す可能性があると報じた。VW首脳が同誌に「買収の可能性を排除しない」と語ったという。

 両社は2009年12月に資本・業務提携を結び、VWがスズキ株約19.9%、スズキがVW株約1.5%を保有している。しかし、スズキは12日、対等な関係を維持できないとして提携を解消する意向を発表した。

 同誌によると、契約ではスズキ側の了承なしに出資比率を上げることができないが、スズキが提携解消の申し入れをしたことで、この規定が無効になるという。VWはスズキをグループ内の小型車の拠点にしたい意向だという。(ロンドン=有田哲文)


年末にかけ「赤穂義士本傳」…一龍斎貞水 [舞台と伝統芸]

人間国宝の講談師、一龍斎貞水=写真=が、12月までかけて「赤穂義士本傳(ほんでん)」を読む「連続講談の会」を始めた。全7回で会場は東京・上野の本牧亭。先月26日の初回は満員御礼の盛況だった。「まだ“化石”にはならない。一生勉強」と自然に気合が入る。

 功成り名遂げた印象を受ける貞水だが、72歳の今もがんを乗り越えて意気盛ん。公演で全国を回る日々だが、今回、一念発起した。「連続講談はかつては普通のことだったが、今は珍しい。一つの作品を最初から最後まで連続の形で読むことは自分の勉強になり、若手に『講釈場』の雰囲気を経験させる場にもなる」と思いを語る。

 2回目となる今月18日以降も「赤穂義士本傳」を毎月読み、忠臣蔵の世界を展開する。あまり口演されない部分もあえて読み、豊かな物語世界を持つ「本傳」の世界を自身、改めて体感している。「最後まで読めたならば、私が講談師であることの証しとなる。そんな思いで臨んでいる」

 会場は40人も入ればいっぱいだが、講談師と客の距離の近さが緊張感を生む。(電)046・297・0371。

(2011年7月11日 読売新聞)

「家族で狂言楽しんで」…31日、万蔵が親子で出演 [舞台と伝統芸]

 狂言師の野村万蔵=写真=が中心となった狂言会が31日午前11時から家族連れ向け、午後2時半から一般客向けとして連続で開かれる。東京・千駄ヶ谷の国立能楽堂。万蔵は「午前は敷居を低く、午後は敷居をまたぐ感覚で狂言を楽しんでもらえたら」と話す。

 午前11時開始の「萬(よろず)狂言 ファミリー狂言会」には、「体操のお兄さん」で著名なタレントの佐藤弘道が出演。万蔵が指導する「現代狂言」の舞台にも出た「弘道お兄さん」と狂言を分かりやすく解説した後、見て楽しい狂言二番を上演する。「二人で作った狂言体操を楽しんでもらう。上から目線ではなく、サービスに努めたい」と万蔵。

 午後2時半の「萬狂言 夏公演」には人間国宝の野村萬(まん)も出演。金沢で活躍する野村祐丞(ゆうじょう)が「鈍(どん)太郎(たろう)」、中堅の扇丞(せんじょう)が「朝比奈」、最後に万蔵が「金津地蔵(かなづのじぞう)」を上演。萬は狂言小舞を披露する。万蔵は「一門がみな少しずつ背伸びをして挑む演目を並べた。会を一門の技量を上げる機会としたい」と意図を語る。

 万蔵は7歳の息子、眞之介(しんのすけ)と共演する。「子供がこの時期に発揮する愛らしさを観客に伝えて、後味の良い会にしたい」。(電)03・6914・0322。

(2011年7月11日 読売新聞)

<河村常雄の家元探訪>林 与一 [舞台と伝統芸]

日本の素晴らしさ世界にアピール
 日本舞踊・林流二代目家元の林与一は、自ら創流した新舞踊・林新流に大きな夢を乗せている。

 このシリーズ最終回となったが、最後に家元の目指すものは何かを聞いた。

――新たに始めた林新流と日本舞踊の林流との関係はどうなりますか。

 「林流は分家の林啓二にまかせています。『歌謡曲で踊るために別派を作るよ』と分家に話をして始めました。林流の家元は今も私ですので、喧嘩をしたのでも何でもありません。今は歌謡曲で教えないと舞踊が広がっていかないと思うから、新流に力を入れているのです」

――林新流の組織は。

 「今は千葉だけですが、いずれ各都道府県に家元を置きます。私は家元ではなく天主と名乗っています」

――それぞれに独立性を持たせるのですか。

 「独立して広めてくれればいいのです」

――今年も千葉のチャリティー公演は予定されているのですか。
「8月28日に4回目を開きますが、来年の5回目は浅草公会堂で開こうと思っています。新流の方々には、浅草公会堂だから、悪いけれどオーディションするよ、と宣言しているんですよ」

――新流の中に与一さんの踊りに対する考え方が見えてきます。

 「本流(林流)の方は基本的に踊れないと認めません。でも新流の方は、ある程度、日本舞踊の下地が必要ですが、下手でも構いません、一緒に踊りましょうという考え方です。舞台に出たい人は出ましょう。楽しんでいただければいいのです。日本舞踊では、つらい手を我慢して踊ることもありますが、新流では楽しんで踊ってほしいのです」

 
――本流と新流をはっきり使い分けしているのですね。

 「新舞踊を広めている理由には、いろんな流派の方たちがたくさん集まってくれるということもあります。私の夢は皇居の前で『元禄花見踊り』を踊ったり、富士の裾野で、さらしを振る踊りをしたりすることです。それも500~600人で。あるいは、厳島神社で1000人で踊ること。日本の伝統である着物を着た踊りをDVDに収めて世界に販売したい。それで、日本の伝統や文化をアピールできれば幸せです」

――本当に長い間ありがとうございました。(写真は林与一)

(2011年7月13日 読売新聞)

<河村常雄の家元探訪>朝丘 雪路 [舞台と伝統芸]

3歳からわくわくして日舞の稽古
 日本舞踊・深水流家元の深水美智雪は、「ふり向いてもくれない」「雨がやんだら」を大ヒットさせた歌手であり、舞台、映画、テレビなど多彩に活躍する女優の朝丘雪路である。そのあらゆる芸の基盤となった日本舞踊について聞いた。

――日本舞踊を習い始めたのは何歳からですか。


 「2人の姉が花柳流でお稽古していましたので私も『六つになったら行きましょうね』といわれていたのですが、姉たちが楽しそうに踊っているのを見て、私も行きたそうにしていたので、3歳の6月6日から始めました。私からやりたいといったのではありませんが、母が習いたいなら習いなさい、といってやらせてくれたようです。母が東京の築地で料亭を経営していまして、踊りを習うのにふさわしい雰囲気でした。わくわくして習いに行ったことを覚えています。今の花柳流家元の花柳壽輔さんが家もすぐ近くで、花柳三之輔お師匠さんのところで一緒にお稽古をしたんですよ。ご近所のみなさんが芸事をしていましたね。夜になると料亭街は華やかで、『お二階さん、新派大矢市次郎!』と声をかける声色屋さんがいたり、新内流しがいたりしていたと思います」

――3歳といいますと昭和13年ですから、中国では戦闘があっても、太平洋戦争にはまだ間がある時期ですね。そのころの稽古の様子は。

 「よくは覚えていませんが、やめたいといったことはないようなので、楽しくお稽古をしていたと思います。最初は『菊づくし』をお稽古して、舞台に出て踊ったのは「手習子」「藤娘」ではなかったでしょうか。発表会が近づきますと親御さんたちが集まって、うちの子は何を踊るのか、とあれこれ話すのですが、そういうところにいることが好きでしたね」

――花柳壽輔さんは昭和6年生まれですから4歳年上。後に家元になり、共演もするお2人が一緒にお稽古していたというのも興味深いことですね。

 「父は『寛(壽輔の本名)君はいいね』って、とてもかわいがっていました。ずっと後ですが、父の描いた衣装で『鏡獅子』を踊っています」

――中学を卒業すると宝塚歌劇団に入りますね。


 「私から入りたいと思ったのではなく、父のお友達が日本舞踊をそこまでやっているなら宝塚に行かせたらと勧めたので受けたようです」

――そこでは日本舞踊だけではなく、バレエやダンス、歌も稽古をしなければならない。

 「宝塚では、初めのうち成績順に役が付いたようですから、ダンスも頑張ってお稽古をしました。でも、日本舞踊は父や母がやりなさいといったことですし、下町では皆お稽古していたので、私だけしないのはいやで、ずっとお稽古を続けていました

【名作探訪】 「播州皿屋敷」 姫路城(兵庫県) [舞台と伝統芸]

 JR姫路駅に降り立つ。駅前の大手前通りから北方を望み、思わず首をかしげた。

 世界遺産で街のメルクマール(目印)となっている国宝・姫路城が、白いシートに覆われて見えない。近づくにつれ、シートの表面に原寸大の天守閣の巨大壁画が浮かび上がってきた。

 城は6年間の修復工事「平成の大修理」の真っ最中だった。高さ46メートルの天守閣を覆う工事用建屋には見学スペースが設けられ、漆喰(しっくい)壁などの修復を公開している。

 歌舞伎「播州皿屋敷」に登場する「お菊井戸」は、天守閣への登り道「二の丸」にある。石柱で囲まれた直径2・5メートルほどの古井戸だ。小石を投げ入れると「カーン」と乾いた音が響く。どうやら空井戸らしい。

「1枚、2枚……」。井戸から聞こえる女の声でおなじみの怪談を生んだ「皿屋敷伝説」は各地に残る。中でも有名なのは姫路城が舞台の「播州皿屋敷」と江戸・番町の「番町皿屋敷」。

 歌舞伎では、大正期に劇作家、岡本綺堂が伝説を悲恋物語に仕立て直した「番町皿屋敷」の人気が勝り、上演回数は戦後40回を超える。人形浄瑠璃初演から270年を迎える「播州皿屋敷」は今月、大阪・道頓堀の大阪松竹座で、関西では戦後初めて上演され、歌舞伎俳優の片岡孝(たか)太郎(たろう)さん(43)が初役のお菊に挑戦している。

 物語の背景はお家騒動。お家乗っ取りをたくらむ家老・浅山鉄山は敵方・三平の婚約者・お菊に言い寄って拒まれたのを恨み、藩主から預かった重宝の10枚組みの皿の1枚を隠し、お菊に罪を着せる。縄で縛り上げて責めさいなみ、井戸に落として惨殺。幽霊となったお菊は復讐(ふくしゅう)を遂げる。

 5月、姫路城を訪れた孝太郎さんは、お菊が地元では「お菊様」とあがめられていると知り、役の解釈を変えた。「か弱いだけでなく、命を代償にしてお家や貞操を守る芯の強い女性のイメージが湧いてきました」

 「将来は、鉄山の謀略を未然に防ぐお菊の活躍ぶりを描いた前半を復活させ、通し上演を試みたい」と意欲を燃やしている。


 日が傾いた。城の南西1キロ、ビル街の一角の「十二所神社」に立ち寄った。かつてはここまで城内で、境内にお菊をまつった「お菊神社」がある。皿と水の守護神で水商売の女性や陶芸家の参拝が絶えない。「一念を貫き通す女性に御利益があります」と宮司の菅原信明さん(73)が語る。

 神社では戦前、アゲハチョウの仲間ジャコウアゲハの幼虫が土産用に売られていた。別名「お菊虫」。お菊の死後、城下町で大発生したと伝わる。さなぎが後ろ手に縛られた姿を連想させるとも。無残な死を遂げたお菊をせめて美しいチョウとして羽ばたかせたい――。播州の人々のそんな優しさが感じられる。

 藤棚の陰で涼をとる。都市化の影響か最近はジャコウアゲハも見かけないらしい。蝉(せみ)時雨に耳を傾けながら、漆黒のチョウが乱舞する妖しくも悲しげな光景を思い描いた。

 大阪文化・生活部 坂成美保
 

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